コロナ禍で味わった挫折や葛藤を次につなげる方法とは?

30代女子の葛藤
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2020年3月11日。
WHOがCOVID-19をパンデミック(世界的大流行)と発表しました。

そこから世界は大きく変わり、感染症の恐怖とこれからの不安を抱えて生きるようになりました。

以前のように気楽に散歩や買い物に出かけることができない。
相手と距離を取るようになり(ソーシャルディスタンスという言葉までできました)
社会生活は大きくストップしました。

毎日信じられない数の人が亡くなって、家族や友達と別れを惜しむ葬式さえ執り行ってもらえない。

誰も想像しなかった悲惨な日々が何年も続きました。

そんな日々が過ぎて2023年の現在。
命があって仕事があって、生活できている。
それだけで素晴らしいことは重々承知しているつもりです。

ただ、このコロナがなかったらできたこと
叶えられた夢
行けた場所がたくさんあるのも事実ではないでしょうか。

過去を悔やんでもしょうがない。
とよく言いますが、過去の大きな後悔や挫折は少なからず私たちの心に大きな傷を残しています。

そんな私もコロナに夢を潰されたうちの一人です。

3年経った今だからこそ、冷静に当時の自分の気持ちと向き合うことができるのではないか。
そんな思いから今回の記事を書くことにしました。

「挫折を次につなげる方法」

というタイトルにしていますが、この記事を書き終わる頃には自分の気持ちが整理されて、挫折を今後につなげられたらという希望も込めたタイトルにしています。

同じような挫折やトラウマを経験した人の背中を押す記事になったら嬉しいです。

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【体験談】コロナで私の人生はどう変わったか

コロナで変わった私の人生。
時系列で追っていきます。

一時帰国中の青天の霹靂、カナダの国境閉鎖

2019年9月、私は当時働いていたスタバで就労ビザを取得しました。

当時の韓国人ストアマネージャーが、ワーホリビザで働いていた私に「これからもカナダで暮らすつもりがあるんだったら」と声を掛けてくれたことがきっかけでした。

就労ビザが発行されるまではワーホリビザが切れた状態だったので、カナダ国外に出ることができませんでした。

日本に一時帰国することもできなかったので、就労ビザを取得したらまず一時帰国をし、家族に今後の私の人生について対面で話をしてくるつもりでした。

ようやく就労ビザが取得できたのが2020年2月。
翌月の3月には日本への一時帰国を決めていました。

その当時、すでに日本ではコロナに関するニュースが出回っていて、危機感が高かったようですが、カナダにいた私には文字通り『対岸の火事』で「ただのインフルエンザの型がちがうやつでしょ」と軽く考えていました。

ところが、一時帰国して一週間後、状況は一気に変わりました。

WHOがパンデミックを宣言。
各国が感染拡大を懸念して国境閉鎖の措置を取る中、カナダも国境閉鎖を宣言。

しかも私がカナダに戻る飛行機を予約していたその前日に。

本当に青天の霹靂。

さあ、どうしよう。

ストアマネージャーに慌てて電話をしたところ「しばらく様子を見るしかない。また状況が落ち着いたら連絡を取り合おう」となりました…

コロナ解雇による就労ビザの失効

その後、数週間?ぐらいはこまめにストアマネージャーとも連絡を取り合っていたのですが、徐々に返信が来なくなり…

そしてそれと並行して、コロナの状況はますます悪化していきました。

最初の頃は「いつかカナダに戻れるはず」と希望を抱いて航空券を調べたり、帰る方法を探したりしていましたが、連日ニュースを見ているうちに現実がそんなに甘いものでないこと悟り始めました。

最初はいつか帰ると考えていたので、当時借りていたシェアハウスも家賃だけ払い続けていましたが、2か月を過ぎたころにオーナーに連絡し、退去を決めました。

幸い、友達が快く荷物の整理と保管をしてくれるとのことだったので、甘えることにしました。

そんなある日、ストアマネージャーからメールが届きました。

要するに「パンデミックでもうあなたを雇い続けられなくなった。クビ。」ということです。

このメールがきたのが2020年8月のこと。
国境閉鎖し、カナダに戻れなくなってから5か月目のことでした。

同僚にメッセージを送ったところ「私もその話は聞いていた。マネージャーから相談も受けた。本当に残念だけど、今あなたがカナダに戻ってきても生きていくことが大変だと思う。日本だったらまだ生活には困らないはず」とたしかにその通りの言葉が返ってきました。

「就労ビザがあるんだから、他のスタバで働ければいいじゃん」

と思いますよね?
そう簡単にはいかないのが就労ビザの難しいところです。

私の取得した就労ビザはピンポイントで働いていたスタバでしか許可されていないもの。
他の店舗で働くためには、また新たにビザを取り直す必要があったのです。

ビザについての詳細は別の記事で紹介しています。
興味があれば、ぜひそちらをご覧ください。

完全に今後の道を見失った数か月

ストアマネージャーからの解雇メールは正直少しは予想していました。

今カナダに戻ったとしても、生活していけるだけの給料がもらえる保証もない。
しかも、もしカナダでコロナになったとしたら?
最低限の保険はあるけど、もし重症化してしまったら?

いろいろな不安がよぎっていたので、日を追うごとに「カナダに戻る」という意思が小さくなっていったのも事実でした。

なので、そんな折に来たメールはもちろん驚きましたが、驚きよりも安堵の方が大きかったと記憶しています。

他人から引導を渡されないといけなかった。
自分で撤退を決意できる勇気はない。けど無謀に進む勇気もない。
そんな時にクビを宣告されたのは、正直ありがたかったと今なら思えます。

ただ、その後の人生完全に見失ったのも事実です。

カナダには帰れない。
じゃあ日本で何をすればいいのか?
というかそもそも気持ちの整理がつかない。

家族や友人は「辛いでしょう」と同情する言葉をかけてくれるのですが、当の本人である私は最初泣くことすらうまくできませんでした。

感情の処理がうまく追いつかなった。

頭では「カナダに帰れなくなったんだから、早く役所関係の手続きを済ませて、仕事を探さなくては」と分かっているのですが、内心は「日本で仕事を見つけたら、もう完全に海外に挑戦するチャンスはなくなる。終わる」と思っていて、なかなか踏み出せない毎日を過ごしていました。

幸い実家があったので、実家で生活はできました。
家事をして、ニュースを見て、時々ブログにカナダのことをアップしたり…
何かしなきゃとTOEICの勉強もしたり…

要するにただのニートです。

そんな自分も嫌いでしたし、いい歳をして親に甘えて生きている根性も許せませんでした。
でも、次のアクションは起こせない。
だって、そこでアクションを起こし始めたら、全て終わってしまうと感じていたから。

今思い出しても、当時の精神状態は少し、いやだいぶ?おかしかったと思います。

甲子園がコロナで中止になって悔し涙を流している高校球児を見て一緒に号泣したり、コロナで起きた様々な問題のニュースを見ては胸が苦しくなったり…

入ってくる情報が多すぎて、自分の中で処理できなくなっていたのだと思います。

そんな感情、状況が数か月?続きました。

そもそもの私の夢は…

そもそも、なぜ私がカナダに戻ることにこだわったのか。
そもそもの私の夢を振り返ります。

2年間の就労ビザ期間を経て、永住権取得に挑戦する

私が取得したビザは2年間働ける就労ビザでした。

なので、その間にIELTSのスコアを上げて、カナダの永住権取得に挑戦するのが目標でした。

2年間働けばそれなりに貯金もできますし、就労経験も重ねられる。
次のステップに移るための知識や人脈も広げられる。
課題だったIELTSのスコアも、2年間のどこかでトライすれば目標のスコアに届くはず。

そんなプランを抱いていました。

バンクーバー以外の都市で生活する

バンクーバー以外の町で生活することも考えていました。

バンクーバーは都市と自然が融合した素敵な都市ですが、永住権を取得したら他の都市へ移動してみるのも面白そうだなと考えていました。

旅行で出かけたモントリオールやトロントも素敵な町だったので、東海岸に行ってみるのもありだなーと漠然とではありますがイメージしていました。

好きな人と好きな時に好きな場所で生きる

カナダで永住権を取ったらカナダだけでしか生きられないわけではありません。

もちろん、ある一定期間カナダで生活をする必要はありますが、永住権を持っている人の中には自国に戻ったりする人も多いです。

シンガポールの私の友人はカナダの永住権を持っていますが、今年の末にはシンガポールの実家に戻って家族と暮らすそうです。

両親と過ごせるうちに親孝行がしたいから。
というのが理由でした。

そんな彼女のように、カナダの永住権があくまで選択肢のひとつで、好きな人と好きな時に好きな場所で生きられるようになったらいいな。というのも夢でした。

完全帰国後の転職活動は?

話がそれましたが、完全帰国しぐちゃぐちゃの精神状態が少し落ち着いてからようやく転職活動を開始しました。

私が転職活動を始めたのは2020年9月末。

コロナ解雇という言葉もニュースで取り上げられるぐらい、雇用が低迷している時期の転職活動になってしまいました。

世の中の厳しさを痛感。60社に祈られた2か月間

上記の通り。

転職エージェント、転職サイトに登録して、申し込んだら「はい!採用」なんてなるわけはなく。

一次のオンライン面接が5分で終わったところもあれば、2次まで進んで最終面接も感触は良かったのに「誠に残念ながら…」というお祈りメールが来る。

そもそも応募して書類審査の段階でお祈りされることの方が多かったです。

これまでとは全くの異業種に応募していたから
というのも要因だったと思います。

具体的な転職活動のエピソードは別の記事で詳しく紹介しています

転職軸は「英語にこだわらない」こと

よく、転職する際に「転職の軸を持て」と言われることがありますが、私が当時持っていた唯一の転職の軸は「英語にこだわらない」でした。

理由は別の記事で詳しく紹介していますが、いわゆる英語を活かせる仕事を軸にしてしまうと、まず仕事が見つからなかったからです。

気持ちの中では帰国して日も浅かったですし、海外への夢や挑戦したい気持ちも強かったので、英語を使う仕事や海外につながるような職種に対する憧れはもちろんありました。

ただ、現実的に考えた時にカナダで約1年半生活した私レベルでは、中途半端なまま終わる。

気付くとそちらに気持ちが寄っていきそうだったので、あえて「英語にこだわるな」と自分に言い聞かせながら転職活動を進めました。

挑戦と現実のはざまで出会った内定

転職活動を続ける中で、お祈りメールばかりをもらっていると社会から自分は不要だと言われている感覚にも陥りました。

自分の人格そのものを否定されたような気持ちにもなり、しんどかったですし、なかなか決まらないことに焦りも覚えました。

それでも前職だけには戻りたくない。
その気持ちだけをバネに約60社応募し続けたことを3年経った今でも覚えています。

プロフィールにも載せていますが、私の前職は幼稚園の教員です。

未来と成長しかない子供たちの保育・教育に携われる教員という仕事は本当にすばらしくて、自分自身の成長や学びも多かったので、カナダに渡航する前の6年間教員を続けることができました。

ただ、それと同じくらい、いや。それ以上に理不尽で不条理、納得できないこともありました。

「子どものために」という言葉だけを頼りに、給料に関係なく働く日々。
次々辞めていく新人教員。
正解が分からない保護者対応。

そんな仕事に戻りたくない。
自分の働きがしっかり評価されて、それが給与に反映される仕事がしたい。

そんな思いから営業職メインで応募し続ける中で、縁あって今の会社に出会い、転職活動を開始してから2か月半後、ようやく就職先が決まりました。

コロナ後の現在は?現実と理想の葛藤

そして現在。

コロナも落ち着き、SNSを見ているとまた海外に飛び始めている人も増えてきて、少しずつコロナ前の状況に戻りつつあります。

そんなコロナ後の現在の私の現実と理想の間でうずまく葛藤をまとめます。

典型的な日本人会社員が抱える葛藤

タイトルの通り。
今は本当に典型的な日本人会社員生活を送っています。

満員電車で押しつぶされながら通勤し、取引先に頭を下げ、社内の人間関係に悩みストレスを抱えながら週末を楽しみする毎日。

真面目に働いて、周りの空気を読んで。
責任感を持って最後まで自分のタスクをこなす。

営業になって気づけば3年目。
それなりにこなせるようにもなりましたし、徐々にキャリアアップもしています。

決して大きくはないけれど、自分だけの空間を持てる自宅があって安定した収入もある。
生活に困ることはないし、ちょっとした贅沢もできる。

カナダでの生活のようにビザについて心配することもなければ、シェアハウスでのルームメイト問題に悩むこともない。

素晴らしい!!

となるはずなのに、いつも心のどこかで「これで本当に良いのか?」という疑問を持っているんです。

このまま同じように日曜の夜にサザエさんを見ると憂鬱になって、それでもなんとか気持ちを奮い立たせて働いて、また次の週末を楽しみに生きる。
そんな日々を送っていいのか。

同じような葛藤を抱えている人、多いのではないでしょうか。

次やりたいことを見つけるためにやり抜く期間

葛藤を抱えているなら辞めればいい。

数年前の私だったらそうなっているかもしれません。

ですが、正直まだ次にやりたいことが見つかっていません。

もちろん、海外にまた挑戦したい気持ちはありますが、どの国で何をしたいか。
その具体的な部分がまだ明確にないということに焦りや不安も抱えています。

それでも、次にやりたいことを見つけるための期間と捉えて、とにかくやりきることしか今の自分にはできないのだから、とにかくやるしかない。

黙って座っていてもやりたいことが生えてくるわけではないので。

とにかく動き続けるしかない。

そんな気持ちで今は働いています。

鍛えられたレジリエンス

私がこのコロナ禍のいろいろな出来事を通して鍛えられたのは、レジリエンス(回復力)だと思います。

3年間、いろいろな挫折や葛藤がありましたが、諦めたり腐ったりすることなく、時間をかけながらも現実を受け止め、立ち直る力が育った

でも、私はこのブログでも何度か書いている通り、いつかは必ず海外にまた挑戦したいです。

私はこのままここで、日本で会社員として終わらず、必ずまた海外に出ていく人だ。
と自負しています。

じゃあそれが具体的にどのような形なのか。
までは分かりませんが、とにかくこのまま腐って終われないじゃない!

という気持ちは絶やさずに持っています。

タイトルにもした「挫折や葛藤を次につなげる方法」
とにかく今できることを地道に続けていく。
力を蓄える。

やりたいと思える光が見えた時にすぐ飛び出せるように。

今にしがみつくのではなく、次へ飛ぶための助走期間。
でもただの助走では終わらない。

ほぼ気合論みたいになってしまいましたが、結局そこに尽きると考えています。

まとめ

なんだかとりとめなく、誰得な記事になってしまいました。
それでも、コロナ禍で似たような経験をして、同じように挫折だったり葛藤を味わったりした人の背中を押すことができたら良いなと感じています。

コロナから3年。
世界の常識が変わり、社会の価値観が変わり、私の人生も変わりました。

でも、それは全部悪い方に行ったわけではない。

たしかに悪い変化も多く、良いことばかりではなかったことは事実ですが、それでも3年経った今は自分の成長や幸せといったものを感じられている。

結局事実をどう捉えるかは自分次第。

次の挑戦が見つかった時に、この記事を読んだ自分がどう感じるか。
またそれも楽しみにし

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